2020-05-12 第201回国会 参議院 財政金融委員会 第11号
いわゆる我々のシステムとして、そういった景気という名の一番大きな消費ががたっと落ちておりますので、これを元に戻していくというのが難しいんで、台風でどこかぶっ壊れたとか、工場がなくなったとか、金融のあれが、丸々現金がなくなったとかいうのと全く違う種類のものなので、初めてこういうことをやって、まあ初めてって、多分、一九一八年のあの風邪が流行して、第一次欧州大戦が風邪のおかげで止まったと言われるあの騒ぎに
いわゆる我々のシステムとして、そういった景気という名の一番大きな消費ががたっと落ちておりますので、これを元に戻していくというのが難しいんで、台風でどこかぶっ壊れたとか、工場がなくなったとか、金融のあれが、丸々現金がなくなったとかいうのと全く違う種類のものなので、初めてこういうことをやって、まあ初めてって、多分、一九一八年のあの風邪が流行して、第一次欧州大戦が風邪のおかげで止まったと言われるあの騒ぎに
あれは、スペインは、あのとき第一次欧州大戦の真っ最中だったので、スペインはあのとき戦争していません唯一のヨーロッパの国だったので、スペインからこの風邪の情報が出たのでスペイン風邪という名前が付いただけで、元はといえば、アメリカ説もあればいろんな説があるんだと思いますので。よく分からないんですが。
いずれにいたしましても、ドイツとほかの国との与えるインパクトはすごい違うというのは正直なところですし、実態としても、これが非常に大きなインパクトになると同時に、ドイツにとりましては、やはりあそこは、第一次欧州大戦以来の一千三百二十億マルクという例のあの天文学的な賠償金のおかげでインフレを、ハイパーインフレをきわめた国だという思い出がある国でもありますので、極めてこの種の話に厳しい国なのではありますけれども
あのとき日本はたしか五十一万人亡くなったんだというような記録が残っていたと思いますけれども、かなりの方が亡くなって、第一次欧州大戦が終結に向かったのはスペイン風邪のおかげという説があそこであるぐらいこれの影響は大きかったということで、それが非常に大きな影響を与えて、アメリカの送った兵隊さん全員と言っていいぐらいそれに感染して、それぐらい大きな被害が出たというのが、これができたもとなんだそうですけれども
かなり時間がかかると思われるのは、少なくとも、フランスがこれを成功しているという話がよく出ますけれども、フランスは、一九四〇年代後半、第二次欧州大戦に敗戦の後、敗戦って、一応勝ったことになっていますけれども、かなりフランスは男性の兵隊さんが亡くなっていますので、その対応からこれを考えたという話で、あのころからやって、七十年かけて今、二コンマ幾つまで持ってきていますから、そういった意味では、かなりの時間
それが前回の一九二九年に起きて大恐慌に突入し、その後ずっとつながり、第二次欧州大戦、世界大戦につながっていった背景であろうと記憶をいたしております。我々はそう習いましたんで、そう申し上げております。
そういったものを含めまして、日本として、少なくとも時代の要請に合わせて、ILOができましたいわゆる第一次欧州大戦、あの前後の話と今とは恐ろしく状況は違ってきておりますし、いろいろな意味で、状況としては、今までと、いわゆる単純労働が長期間拘束されるというような事態というのは随分変わったとは思います。
取り巻く環境も変わってきているんだと思いますけれども、いずれにいたしましても、こういったようなものというのは、第一次欧州大戦から第二次世界大戦にかけての武器の内容が随分変わっていったりしたことを考えますときに、こういったようなものに関しましても、私どもとしては、努力というものは結果として核廃絶に結びつくという希望は捨てちゃいかぬものだ、私は基本的にそう思っております。
したがって、それによって、国を強烈な勢いで中央統制下にすることによって国家総動員で戦争をやるという、戦争目的だけを見れば、私どもとしては、そのこと自体を見て、それは間違っておったかと言われると、なかなか判断の難しいところだと存じますが、もとはといえば、では何でその戦争になっていったのかといえば、ずっとさかのぼっていけば、第一次欧州大戦にイギリスの要請に基づいて参戦しなかったがゆえにという話までさかのぼります
もう少し正確に申し上げると、別に借りだけではないのであって、我々は、かつて第一次欧州大戦のときに、オーストラリア軍を地中海まで運ぶのは、日本の駆逐艦「伊吹」というのがこれを保護して送ったという、あれの借りは返したという話があるぐらい、それは、かなり向こうも昔の話からさかのぼって話をしてくるというのは御存じかと思いますが、そういった意味で、テロのときとか災害支援とか、豪州といろいろやってきた長い歴史があります
かつての第一次欧州大戦に大した参加もしないで勝者側に立ったときと似たような形になっているんだと思いますが、その後の判断を間違えて御存じのようなことになっておりますので、私どもはここは非常に大事な判断をしなくちゃいかぬ。 そのときに、自主防衛だという点に関しましては、私も自主防衛という概念は基本的に正しいと思います。今、自主防衛の方が高くつくという話が多分一つの意見です。
御存じのように、第一次世界大戦後、大変世界的な不景気になりましたが、私の母方の曾祖父、祖父も炭鉱経営をしておりましたから、よく母の話にも聞いたわけでございますが、欧州大戦の後の大不景気が来たということでございます。 御存じのように、昭和十五年、これは戦時中でございますが、五千六百三十万トン出炭をして、戦前では最高の出炭記録だ、こう思うわけでございます。
こういう人々が詳しく書いているわけですけれども、年表がありますが、一九四一年末までに日本としては研究成果の大要として「化学兵器 (1)毒物にては欧州大戦に使用した有効と認むる毒物の研究は全部完了、」、そして新たな「毒物として採用したもの」として、日本軍が採用した毒ガス兵器、化学兵器というものを全部明細に書いてあります。
ただ、富国強兵という、強兵というものに明治時代には特に関心を持ちまして、日清、日露、第一次欧州大戦等だんだんとやってくるうちに、非常に強兵に力を入れ過ぎた感がございまして、それで、先回の太平洋戦争が来て日本が没落するという手順を踏んだわけでございます。 そして終戦後、マッカーサー司令部がいわゆる日本の占領政策を画したわけでございます。
日清とか日露とか欧州大戦とか、その軍需景気というのはどういうことかと申しますと、船の上で足袋をはけば滑らないわけです川だから艦上足袋と申しておったそうですけれども、そういう時代があった。しかし、これは戦争が済むとぱったりなくなって、今度は学童服とか作業服とかそういうものをつくり始めたわけでございます。したがって、その辺の転換は非常にスムーズだった。
日経連の専務理事をされました前田一さんの書かれました「特殊労務者の労務管理」という一九四三年の書物がございますが、その中に、「欧州大戦勃発以降内地の産業は勃興し、事業界は未曽有の殷盛を告げ、労力の需要は頓に増加を来し、その結果内地労働者の吸収のみを以ては充分ならず、寧ろ内地人に比して賃金の低廉なる鮮人労務者を積極的に誘引するに如かずとする機運を醸成し」たという記載がございまして、内地に流入した朝鮮人労働者
この点について、日経連の専務理事をされました前田一さんの「特殊労務者の労務管理」という一九四三年に刊行された出版物によりますと、「欧州大戦勃発以降内地の産業は勃興し、事業界は未曽有の殷盛を告げ、労力の需要は頓に増かを来し、その結果内地労働者の吸収のみを以ては充分ならず、寧ろ内地人に比して賃金の低廉なる鮮人労務者を積極的に誘引するに如かずとする機運を醸成し」たといぅような記載があるのもその裏づけではなかろうかと
それから第一次欧州大戦の後につくられました一九二九年捕虜に関する条約があるわけであります。この条約はヘーグ条約をさらに一歩前進せしめたものでありまして、その条約には帰るときにどのような手段でもってその労働賃金を与えるかそれを決めなさい、規定すべしということになっております。
と申しますのは、御存じのごとく、その方たちは、第一次欧州大戦以後日本に委任統治されておりましたので、日本語もよくわかるんです。中にはサイパンの元上院議員だったという人が、御夫婦で「愛染かつら」を歌っていましたよ。そのくらい日本語がうまいんです。
かつて第一次欧州大戦で輸出の増加をてこに非常な高度成長をしまして、その後、大戦後の世界不況の中で日本経済が体質改善に要しました期間はほぼ十年かかっておりますが、今回どのくらいかかるかということは別にしまして、このような高度成長から一転して安定成長の軌道を模索しなくちゃならないという意味では、かなり時間がかかるのではないか。
参議院選挙を前にして何か大きく出ているような気がして、むしろ、そのことが、ナショナルインタレスト、自国本意の現在の状態でカーターと会って、特に多国間関係は、世界の特に南なりといったようなものを、第二次欧州大戦を想起しながら、これでは大混乱になる、したがってこうだと言われましても、それほど世界の政権というものは、今日のわが国、まあ福田内閣のみじゃございませんでしたが、特に国内の支持率その他から見て、福田